デジタルエアーの創り方。市場の”空気”を設計し、「第一想起」を必然に変えるカテゴリー創造の新戦略
優れたプロダクトやサービスを開発し、その価値を市場に伝えようと試みる。しかし、企業が発信するメッセージは、時に情報過多の波に飲み込まれ、意図したようには顧客に届かない。なぜ、熱狂的なファンを持つブランドと、そうでないブランドが存在するのでしょうか。
その差は、プロダクトの機能やスペックだけでは説明がつきません。鍵を握るのは、市場に漂う特有の「空気感」、つまり「デジタルエアー」を戦略的にデザインできているかどうかです。
企業からの発信だけでなく、顧客や第三者の声(UGC)が自然発生的に、かつ一貫した文脈で語られることで、そのカテゴリーならではの“常識”や“熱量”が生まれていきます。
この記事は、この「デジタルエアー」の正体を解き明かし、新カテゴリーを市場に浸透させるための具体的な思考法とアクションを提示します。あなたの事業が持つ独自の価値を、いかにして市場の共通認識へと昇華させていくか。その問いこそが、次の一手を創り出すのです。
序章:なぜ今、戦略の中心は「空気」のデザインなのか?
「より良い」競争の限界と、「異なる」存在になるための問い
現代の市場は、あらゆるサービスが均質化し、機能やスペックでの差別化が極めて困難になっています。多くの企業が「より良い(better)」製品やサービスを提供することで差別化を図ろうとする「改善の罠」に陥りがちです。しかし、この競争は終わりなき価格競争と機能追加合戦につながり、持続的な優位性を築くことは極めて困難となります。
顧客は、単に「何ができるか」ではなく、「なぜそれを選ぶべきか」「そのサービスがどんな未来を見せてくれるのか」という“意味”を求めているのです。ここで問うべきは、「どうすれば競合に勝てるか?」ではありません。「どうすれば、競合と比較されずに選ばれる存在になれるか?」です。その答えは、自社が支配できる新しい市場カテゴリーを創造し、「異なる(different)」存在になることを目指す戦略にあります。
市場の”共通認識”こそが、最強のブランド資産となる
新しいカテゴリーを創造するという挑戦は、新しい“意味”を市場に提示する行為に他なりません。そして、その新しい意味が市場に浸透し、顧客の頭の中に「共通の価値認識」として形成された状態こそが、最強のブランド資産となります。
例えば、エルメスというブランドに対して人々が抱く「高価だが品質が良い」といった共通の感覚、あるいは「電気自動車」と聞いて多くの人がテスラを想起するような状態。これらは、企業が一方的に発信するメッセージを超え、市場全体が共有する“常識”となっています。
この、目には見えないが確かに存在する市場の「共通認識」や「空気感」こそが「デジタルエアー」であり、これからの時代、事業成長の鍵を握る最重要資産となるのです。
第1章:「デジタルエアー」の本質的理解
1-1. デジタルエアーの定義:市場を支配する「空気感」と「共通認識」
「デジタルエアー」とは、特定の企業やカテゴリーに対して、市場や生活者の間に醸成される特有の「空気感」や「共通認識」を指す言葉です。それは、指名検索の増加やSNS上でのポジティブな言及といった、目に見える現象の背景にある“雰囲気”そのものと言えるでしょう。
この概念の核心は、企業がコントロールし所有するブランド資産ではなく、市場の中で自律的に成長し、持続する「現象(phenomenon)」であるという点にあります。デジタルエアーが醸成された状態とは、ブランドが提供する価値が市場全体で共有され、特定の文脈においてそのブランドが想起されるのが「当たり前」になっている状態を意味するのです。
1-2. 広告やバズとの決定的違い:思想、主体、目的、性質、信頼性
デジタルエアーは、一時的な話題作りを狙う広告キャンペーンや、瞬間的に拡散される「バズ」とは根本的に異なります。その違いは、思想、主体、目的、性質、信頼性の5つの側面から整理できます。
| デジタルエアー | 従来の広告 / バズ | |
|---|---|---|
| 思想 | 持続的な文化を 育む | 短期的な話題を 仕掛ける |
| 主体 | 顧客、ファン、第三者 | 企業(広告主) |
| 目的 | カテゴリーの共通認識、文化の醸成 | 商品の認知獲得、短期的な売上向上 |
| 性質 | 持続的、自律的に成長する「現象」 | 一時的、投下予算に依存する「仕掛け」 |
| 信頼性 | 高い(第三者の本音と認識される) | 低い(企業の発信と認識される) |
最も本質的な違いは、コントロールと育成の思想です。広告は、企業が予算を投下しメッセージをコントロールする「仕掛け」です。一方、デジタルエアーは、企業が直接コントロールできないものを「育む」思想に基づいています。この思想の違いが、信頼性や持続性において決定的な差を生むのです。
1-3. 認識の統合プロセス:「点」の情報が「面」の共通認識へと変わる仕組み
デジタルエアーが醸成されるプロセスは、個々の情報という「点」が相互に結びつき、市場全体を覆う認識の「面」へと発展する過程として説明できます。
プレスリリース、導入事例、個々のSNS投稿、顧客の口コミ。これら一つひとつは「点」の情報に過ぎません。しかし、これらの点が同じ文脈で語られ、連鎖し始めると、カテゴリー全体を覆う強固な共通認識、すなわちデジタルエアーが形成されるのです。
例えば、ある企業が新しいコンセプトのSaaSをローンチしたとします。最初は企業の公式発表(点)から始まりますが、やがてアーリーアダプターが「こんな使い方があったのか」とブログで発信し(点)、それを見た別のユーザーがSNSで感想を述べ(点)、さらに業界メディアがその動向を記事にする(点)。これらが連鎖し、いつしか「〇〇という新しい働き方には、あのSaaSが不可欠だ」という“空気”、すなわちデジタルエアーが市場を覆っていくのです。
1-4. デジタルエアーを支える心理的基盤
社会的証明(ソーシャルプルーフ)とバンドワゴン効果
デジタルエアーの形成は、バンドワゴン効果や社会的証明(ソーシャルプルーフ)の原理に強く支えられています。これは、多くの人々が支持しているものに対して、個人が安心感を覚え、追随したくなる心理的傾向を指します。市場にポジティブな「空気感」が漂い始めると、消費者は「皆が良いと言っているのだから、間違いないだろう」と感じ、そのブランドを選択しやすくなるのです。UGC(ユーザー生成コンテンツ)が企業発信の情報よりも信頼されるのは、まさにこの心理が働くためです。
もう一つの本質:「外部化された企業文化」としてのデジタルエアー
さらに強力なデジタルエアーは、企業文化が社外にまで拡張され、顧客と価値観を共有する状態を生み出します。企業文化とは、本来「従業員間で共通認識されている信念や前提条件」を指しますが、無印良品やキーエンスのような強力なブランドでは、その内部の哲学や文化が、そのまま市場が認識するブランドイメージと一致しています。
つまり、デジタルエアーは「外部化された企業文化」と捉えることができます。企業が掲げる理念や価値観が市場に浸透し、顧客がその企業の言葉や価値観を用いてカテゴリーについて語り始める状態。それこそが、デジタルエアーが完成した状態と言えるのです。
第2章:触媒としての「ライトニングストライク」
デジタルエアーが持続的な「状態」であるとすれば、その状態を意図的に創出、あるいは劇的に変化させるための「行動」が必要です。その役割を担うのが「ライトニングストライク」に他なりません。
2-1. ライトニングストライクとは何か?:市場の認識を変える「稲妻」
ライトニングストライクとは、「定義された期間にわたる集中的な活動の爆発」、「選ばれたオーディエンスの心臓部に直接突き刺さるエネルギーの稲妻」 と表現される戦略的イベントです。これは単なる製品ローンチイベントではなく、市場の注目と関心を掌握するために企業全体が一体となって取り組む「変革的なマーケティングイベント」を指します。
その目的は、市場のノイズを突き破り、認知度を飛躍的に高め、ビジネスに測定可能なインパクトを与えることです。重要なのは、これが単なるマーケティング部門の仕事ではなく、CEOの個人的な関与、営業、パートナー部門など、全社的なコミットメントを必要とする点です。
2-2. 戦略的背景:なぜ「カテゴリーデザイン」に稲妻が必要なのか
ライトニングストライクの背後にある戦略思想は、書籍『Play Bigger』で提唱された「カテゴリーデザイン」です。これは、既存市場で競争するのではなく、自社が支配できる新しい市場カテゴリーを創造することに焦点を当てる戦略です。カテゴリーを創造した企業は、その市場の総資本の大部分(約76%)を獲得すると言われています。
このカテゴリーデザインのプロセスにおいて、ライトニングストライクは、市場に対して新しい問題提起を行い、それを解決するための従来とは異なる新しい方法を提示し、その新しい世界に飛び込むことが正しい選択であるという証拠を示す、極めて重要なGTM(Go-To-Market)戦略となるのです。
2-3. あなたの戦略はどれか?:3つのマーケティングアプローチ
ライトニングストライクの有効性を理解するために、他のアプローチと比較してみましょう。
- ピーナッツバター・アプローチ:薄く広く、誰にも届かない戦略
多くの企業が陥りがちなのが、マーケティング予算やリソースを年間を通じて薄く広く配分するアプローチです。ピーナッツバターをパンに均一に塗るようなこの方法では、情報過多の現代において市場のノイズを突き破るほどのインパクトを生み出すことは困難です。 - ローリングサンダー:稲妻の後に続く、持続的な「雷鳴」
ライトニングストライクが「稲妻」なら、ローリングサンダーは「鳴り響く雷鳴」です。これは、ライトニングストライクの後に続く、持続的なマーケティング活動を指します。新製品の発表、顧客導入事例、パートナーシップの発表といった一連の「証拠(Proof Points)」を定期的に市場に投入し、ライトニングストライクで提示したビジョンを裏付け、モメンタムを維持する役割を持ちます。 - ライトニングストライク:市場のノイズを突き破る一点集中のエネルギー
これらに対し、ライトニングストライクは、リソースを一点に集中させ、市場に強烈なインパクトを与えることで新しいビジョンを宣言する戦略です。
多くの企業が無意識に採用している「ピーナッツバター」的アプローチから脱却し、ライトニングストライク(稲妻)で市場の認識を変え、ローリングサンダー(雷鳴)でその認識を強化し続ける。この意図的なリズムこそが、最終的に市場の共通認識であるデジタルエアー(空気)を醸成・強化していくのです。
第3章:戦略的共生関係 – 「空気」を創り、支配するメカニズム
デジタルエアーとライトニングストライクは、それぞれが独立した概念ではなく、相互に補完し合うことで市場リーダーシップを確立するための強力なエンジンとなります。
3-1. 点火と持続的燃焼:ライトニングストライクとデジタルエアーの補完関係
この二つの関係は、「点火」と「持続的燃焼」という比喩で捉えることができます。
- 点火装置(ライトニングストライク): 市場に新しい物語を投げ込み、会話の火種を点ける役割を担います。Appleの象徴的な新製品発表会のように、莫大な期待感を醸成し、市場の議題を独占する「ショック・アンド・オー(衝撃と畏怖)」キャンペーンに相当します。
- 持続的燃焼(デジタルエアー): 一度点火された火も、燃料がなければ消えてしまいます。ライトニングストライクによって生み出された物語が、市場(顧客、ファン、メディア)によって受け入れられ、再生産されることで、デジタルエアーという持続的な「空気感」が形成されます。
3-2. 市場創造の戦略的シーケンス
効果的な市場創造は、これらの要素を戦略的に順序立てることで実現されます。
- Step1: ライトニングストライクによるPOV(独自の視点)の確立
まず、大規模なカンファレンスや画期的な製品発表といったライトニングストライクを通じて、市場に対して説得力のある独自の視点(Point-of-View, POV)を提示します。これは、顧客が抱える問題を再定義し、新しい解決策の必要性を認識させるための重要なステップです。 - Step2: ローリングサンダーによる「証拠」の継続的提供
次に、ローリングサンダーのフェーズに入ります。ここでは、ライトニングストライクで提示したPOVを裏付けるためのコンテンツ、顧客事例、PR活動などを継続的に展開します。この段階は、初期の熱狂を具体的な信頼へと転換させるために不可欠です。 - Step3: デジタルエアーへの昇華と自律的成長
この持続的な努力の結果、ライトニングストライクのエネルギーは、安定的で周囲に広がるデジタルエアーへと昇華します。この段階に至ると、市場の「共通認識」は企業が意図した物語と一致し、ブランドは自律的な成長軌道に乗るのです。
3-3. 3つの概念の役割整理:戦略比較フレームワーク
デジタルエアー、ライトニングストライク、そしてローリングサンダーの戦略的な使い分けを明確にするため、以下の表で各概念を比較分析します。
| 次元 | デジタルエアー (空気) | ライトニングストライク (稲妻) | ローリングサンダー (轟音) |
|---|---|---|---|
| 主要目標 | 市場全体の共通認識と文化的関連性の維持 | 新規カテゴリーの創造/支配。新しいPOVで市場に衝撃を与える | モメンタムの維持。ライトニングストライクのビジョンに対する証拠を提供する |
| 時間軸 | 長期的、継続的、持続的 | 短期的、集中的(例:2~3週間) | 中期的、周期的(ストライク間を繋ぐ) |
| 主要な主体 | 顧客、ファン、第三者メディア、コミュニティ | 企業全体(CEO主導)、主要パートナー、メディア | マーケティング、PR、営業、カスタマーサクセスチーム |
| 性質 | 有機的な「現象」 | 計画された、全社的な「イベント」または「キャンペーン」 | 計画された一連の戦術的「アクティベーション」 |
| 比喩 | ある地域の気候 | 一筋の稲妻 | 稲妻の後に続く雷鳴 |
| 測定指標 | 指名検索数、センチメント、シェア・オブ・ボイス、UGCの質 | メディアインプレッション、アナリストの反応、即時のパイプラインインパクト | リードジェネレーション、コンテンツエンゲージメント、顧客成功事例 |
第4章:BtoBにおけるデジタルエアー実践の「型」
4-1. インサイド・アウトの原則:すべての「空気」は企業文化から生まれる
BtoBブランドが放つ「空気」は、広告キャンペーンだけで作られるものではありません。それは、企業の核となるMVV(ミッション・ビジョン・バリュー)や企業文化が、従業員の行動を通じて顧客接点に現れ、最終的に外部のブランドイメージ、すなわちデジタルエアーとして認識されるという「インサイド・アウト」の原則に基づいています。卓越したBtoB企業は、この原則を深く理解し、実践しています。
4-2. Salesforceの型:個人の成功を支援する「キャリア構築エコシステム」
Salesforceは、自社製品を利用する「企業」だけでなく、それを使う「個人」の成功に焦点を当てています。学習プラットフォーム「Trailhead」とコミュニティ「Trailblazer Community」は、単なるユーザーフォーラムではなく、ユーザーがスキルを学び、キャリアアップを実現するためのグローバルなネットワークとして機能します。これにより、ユーザー個人のキャリア形成とSalesforceエコシステムの成長が分かちがたく結びつき、彼らを熱心なエバンジェリストへと変えるのです。Dreamforceという年次のライトニングストライクで熱狂を生み、Trailblazer Communityという持続的なエコシステムでデジタルエアーを醸成する。この両輪が、Salesforceをカテゴリーキングたらしめているのです。
4-3. HubSpotの型:思想を広める「教育コンテンツによるリーダーシップ」
HubSpotは、自社のソフトウェアを売り込む前に、まず「インバウンドマーケティング」という思想そのものを定義し、世に広めることに注力しました。彼らが取り巻くデジタルエアーとは、「割り込み型」の広告よりも、顧客にとって価値あるコンテンツで惹きつけるアプローチが優れているという市場の共通認識そのものです。質の高いブログ記事や無料の認定資格プログラムといった、価値あるコンテンツを無償で提供し続けることで(ローリングサンダー)、業界における絶対的な権威(オーソリティ)としての地位を確立したのです。
4-4. キーエンスの型:圧倒的な成果が約束された「超高付加価値ソリューション」
キーエンスのブランドは、マーケティングコミュニケーションではなく、その卓越したオペレーションと事業活動そのものによって「空気」を創り出しています。顧客自身もまだ気づいていない潜在的な課題を解決するコンサルティング営業、そして新製品の約7割が「世界初」または「業界初」という驚異的なイノベーション率。この経済合理性に裏打ちされた圧倒的なパフォーマンスが、「不可欠」かつ「絶対に信頼できる」という強力なデジタルエアーを形成しているのです。
4-5. サイボウズの型:自社のあり方を見せる「企業文化の製品化」
サイボウズは、「自社の働き方そのものをブランドメッセージにする」というユニークなアプローチを採ります。『チームワークあふれる社会を創る』という理念を掲げ、自社をその理念の最も先進的な実践者と位置づけています。複業や選択的週休3日制といった多様な働き方を自ら実践し、その成功も失敗も赤裸々に情報発信する。これにより、彼らは単なるグループウェアを販売しているのではなく、自社で実証済みの「理想的なチームワークのあり方」という思想そのものを販売しているのです。
第5章:【BtoC事例に学ぶ】彼らは製品ではなく「価値観への参加証」を売っている
最も強力な「デジタルエアー」は、ブランドが商業的な価値を超え、普遍的な人間的価値と結びついたときに生まれます。彼らが販売しているのは単なる製品ではなく、その価値観を実践するライフスタイルへの「参加証」なのです。
5-1. スノーピーク:共創が生み出す、情熱的な帰属意識
スノーピークの戦略は、「人生に野遊びを」というテーマを掲げ、ユーザーとの「共創」によって成り立っています。その象徴が、キャンプイベント「Snow Peak Way」です。これは、社長や社員とユーザーが共にキャンプをし、焚き火を囲んで語り合う没入型のブランド体験であり、ブランドへの熱狂を点火するライトニングストライクとして機能しています。このリアルな場での強固な繋がりがオンライン上のUGCを活性化させ、UGCに接触したユーザーのコンバージョン率が270%向上するなど、具体的な成果にも繋がっているのです。
5-2. 無印良品:「これでいい」という哲学が醸成する、穏やかな合理性
無印良品のデジタルエアーは、熱狂とは一線を画す、静かで理性的な哲学に基づいています。その核心は、「これがいい(This is what I want)」という強い嗜好性ではなく、「これでいい(This is enough)」という理性的満足感を高い水準で提供することにあります。この哲学は、「素材の選択」「工程の点検」「包装の簡略化」といったものづくりの3原則に一貫して体現されており、消費者に賢明な選択をしているという満足感を与えています。
5-3. テスラ・サイバートラック:論争が鍛える、両極化された熱狂
テスラのサイバートラックは、熱狂的なファンコミュニティと激しい社会的反発という両極端な反応によって、特異なデジタルエアーが形成された事例です。その過激なデザインやCEOの言動に対する社会的な反発や嘲笑は、オーナーたちの「我々 対 彼ら」という内集団意識を逆に強化する効果をもたらしています。この事例は、デジタルエアーが必ずしも万人に受け入れられるポジティブなものである必要はないことを示唆しています。共通の敵や外部からの批判に立ち向かうことで生まれる強固な連帯感こそが、最も強力なデジタルエアーの源泉となり得るのです。
第6章:デジタルエアー実装と測定のためのフレームワーク
6-1. 「空気」を醸成する3つのステップ
「デジタルエアー」は、3つの戦略的ステップを踏むことで、意図的に醸成することが可能です。
- Step 1:「語りたくなる文脈」を設計する
全ての出発点は、闇雲にUGCを増やすのではなく、「どのようなUGCや会話を生み出したいか」を定義することにあります。単に「製品が便利だ」という声を集めるのではなく、「この製品のおかげで、より創造的な挑戦ができた」といった、ブランドが提供する本質的な価値変容の物語が語られるような「文脈」を設計するのです。そのために、顧客に「私たちのツールがくれた時間で、あなたはどんな“創造的な挑戦”を始めましたか?」といった質の高い「問い」を投げかけることが重要となります。 - Step 2:「共感の連鎖」の起点をつくる
設計した文脈に沿ったUGCの“第一号”を生み出し、共感の輪を広げるフェーズです。NPS調査の推奨者やSNSでのポジティブな発信者など、最も熱量の高い顧客(ファン)を見つけ出し、彼らが体験した「課題認識の変化の物語」として深く取材し、コンテンツ化します。この物語は、同じ課題を抱える未来の顧客にとって、何よりも強力な道標となります。 - Step 3:「空気感」を持続・増幅させる
生まれたUGCを一過性のものにせず、持続的なデジタルエアーへと育てていくための仕組みを構築します。その鍵がコンテンツの多チャネル展開です。
一つの質の高いインタビュー記事(核となるコンテンツ)を、SNS投稿、ショート動画、ウェビナー、営業資料など、様々な形式に再編集して多角的に展開します。これにより、メッセージとの接触回数を最大化し、市場における「空気」をより濃く、強固なものにしていくのです。
6-2. 「空気」を可視化する:測定のための代理指標(Proxy Metrics)
「空気感」という無形の概念も、その存在と強度を示す代理指標(Proxy Metrics)を追跡することで、戦略の効果を定量的に評価できます。
- 指名検索数(Branded Search Volume):想起を測る最重要指標
ユーザーがブランド名や製品名を直接検索する回数は、市場における認知度と関心の高まりを直接的に示す最も重要な指標の一つです。デジタルエアーが醸成されると、人々はそのカテゴリーについて考える際に自然と特定のブランド名を想起し、検索行動に至るため、指名検索数は「空気」の強さを測るバロメーターとなります。 - センチメント分析(Sentiment Analysis):市場の感情の質を測る
ソーシャルメディアやウェブ上の会話を分析し、ブランドに関する言及が肯定的(ポジティブ)、否定的(ネガティブ)、中立(ニュートラル)のいずれであるかを測定します。これにより、「空気」の質、すなわち市場がブランドに対してどのような感情を抱いているかを把握することができます。 - UGC指標(UGC Metrics):量と「文脈との一致率」を測る
UGCの量を追跡するだけでなく、その「質」を分析することが重要です。生成されたUGCの内容が、ステップ1で設計した「語りたくなる文脈」と一致しているかを評価します。これにより、意図した「空気」が正しく醸成されているかを確認できるのです。
終章:戦略から市場の常識へ – 競争を終わらせるための第一歩
究極の到達点:「ブランドの動詞化」とその先に待つ罠
デジタルエアーが究極の形に達したとき、「ブランドの動詞化」という現象が起こります。Googleで検索することを「ググる」と表現するように、ブランド名が特定の行動を表す一般動詞として社会に定着するのです。これは、ブランドが市場の共通認識そのものになったことの証であり、マーケティングにおける最高の栄誉と言えるでしょう。
しかし、この成功には「商標の普通名称化」という法的リスクが潜んでいます。商標がその商品の一般的名称として認識されると、商標権を失う可能性があるのです。市場を完全に支配するというマーケティング目標と、商標の独自性を守るという法務目標の間に存在する緊張関係を理解し、管理することが、カテゴリーキングであり続けるための最後の課題となります。
デジタルエアー・フライホイール:持続的成長を生む自己強化サイクル
本稿で解説してきた戦略は、一度実行して終わりではありません。それは、一度回り始めると自己強化的に成長を続ける「フライホイール」として捉えるべきです
- アクション: 企業の哲学に基づき、顧客との共創や価値あるコンテンツ提供を行う。
- デジタルエアー: その結果、ポジティブなUGCや好意的なセンチメントが生まれる。
- 測定可能な成果: 指名検索の増加や高い顧客ロイヤルティとして現れる。
- フィードバック: ロイヤル顧客が新たなアクションの担い手となり、さらにフライホイールの回転を加速させる。
このサイクルを回し続けることで、デジタルエアーは持続的に醸成され、強固な競争優位性へと繋がっていくのです。
今日から始める第一歩:最も熱量の高い顧客の声に耳を傾ける
この壮大な戦略の第一歩は、非常にシンプルです。まずは、あなたの会社やプロダクトについて、最も熱心に語ってくれる顧客の声に、真摯に耳を傾けることから始めてみましょう。
彼らはなぜ、あなたのファンでいてくれるのか。そこに、あなたの会社がまだ気づいていない独自の価値、そしてデジタルエアーを醸成する上で核となる“文脈”のヒントが隠されています。その一つの「声」を、未来の顧客に届く一つの“物語”として丁寧に編み直し、発信してみる。
その小さな一歩こそが、市場全体の大きな認識を変える、最初の一滴となるのです。