「プロダクトの前に、まずマーケットを創る」巨大市場を創造したフォトシンスの事業戦略
今回は、株式会社Photosynth(以下、フォトシンス)・代表取締役社長の河瀬航大氏を取材。
「Akerun」によって、「スマートロック」「クラウド型入退室管理」という巨大な市場を創造し、今もなお市場を牽引し続けるフォトシンスだが、どのようにして「オフィス向けスマートロック=Akerun」というカテゴリーでの第一想起を確立するに至ったのか―― 取材を通して見えてきたものは、河瀬氏の原体験から生まれた、独自の事業戦略だった。
「プロダクトを作る前に、まずマーケットを作らないといけない」と語る、河瀬氏のカテゴリーブランディングの神髄に迫る。
出演者

Interviewee株式会社Photosynth 代表取締役社長
河瀬 航大
2011年株式会社ガイアックスに入社。事業責任者としてネット選挙の新規事業を立ち上げ、多数のTV出演・講演活動を行う。2014年に株式会社Photosynthを創業し、代表取締役社長に就任。スマートロックを活用したクラウド型IoTサービスである「Akerun」を手掛け、累計7,000社以上が導入。2021年に東証マザーズ(現グロース市場)へ上場を果たす。

データが見せた残酷な真実と、toBへのピボット

塩口 本日はよろしくお願いいたします。早速ですが、スマートロックという事業アイデアは、どのようなきっかけで生まれたのでしょうか。
河瀬氏 もう11年以上前ですが、男同士で渋谷で飲んでいた時に、「鍵って不便だよね」という、本当にたわいもない会話からなんです。「自分たちの家の鍵がスマホで開いたら便利だよね」という思いで、まずはプロジェクトとして立ち上がったのが始まりです。
塩口 最初は家庭向けのプロダクトだったのですね。
河瀬氏 はい。今でこそ「スマートロック」という言葉は当たり前になりましたが、当時はその名称すら世界中を探しても見当たりませんでした。なので、私たちは当初「鍵ロボット Akerun」と呼んでいました。
塩口 そこからtoBに切り替えられたのは、どういうきっかけだったのでしょうか。
河瀬氏 家庭向けAkerunは、世界初のスマートロックとしてメディアにも取り上げていただき、売れ行きも好調でした。しかし、IoTプロダクトなのでお客様の利用状況などもデータとして見ることができるのですが、そのデータを見ると、購入されているにも関わらず、実際にはほとんど使われていない。アクティブ率が驚くほど低かったんです。
お客様の役に立てていないのではと悩んでいた矢先、あることに気づきました。全体の約10%のお客様だけ、利用データが異常なほど伸びていたんです。
塩口 その10%のお客様は、どのような使い方をされていたのですか。
河瀬氏 すぐにヒアリングに伺うと、軒並み「オフィスで使っている」と言うんです。当時のオフィスセキュリティは非常に高価で大掛かりな工事が必要でした。そこに、我々の「後付け可能」で「クラウド型」であることに、ものすごい価値を感じてくれていた。このデータとヒアリングが、事業の大きな転換点になりました。
「スマートロック」を捨て、「入退室管理」で市場を獲る

塩口 とはいえ、「スマートロック」という言葉自体がまだ浸透していない中で、どのように法人顧客を獲得していったのですか?
河瀬氏 実は、ここにも大きな発見がありました。当初、「スマートロック」というキーワードでWeb広告を出していたのですが、なかなか受注に繋がらなかった。「スマートロック」には、「数万円の売り切りガジェット」というイメージが染み付いてしまっていたんですね。
そこで、ありとあらゆるキーワードで広告を試したところ、「入退室管理システム」や「オフィスセキュリティ」といったキーワードでのお問い合わせが、圧倒的に受注率が高いことが分かったんです。
塩口 なるほど。プロダクトの名称や新しい概念を押し出すのではなく、顧客がすでに課題として認識している、既存の市場にアクセスしにいったわけですね。
河瀬氏 おっしゃる通りです。僕らは「スマートロック」という新しい市場をゼロから創り上げたというよりは、「入退室管理」という既存の巨大な市場に、「クラウド」という新しい価値を武器に参入した、と捉え直したんです。この発見が、その後のマーケティング戦略の核になりました。
塩口 市場が拡大するにつれて競合も増えてきたと思いますが、その中で優位性を保つために、どのような戦略をとられたのでしょうか。
河瀬氏 我々は一貫して「オフィス向け」という戦場に特化し続けました。そして、オフィス市場で圧倒的なNo.1の実績を築くために、社内の共通言語として「信頼性」「拡張性」「革新性」という3つのブランド価値を定義しました。
- 信頼性:家庭向けとは比較にならない、高レベルなセキュリティ基準をクリアすること。
- 拡張性:勤怠管理や在籍管理システムとの連携など、他社にはない圧倒的な連携機能の豊富さ。
- 革新性:デジタル身分証など、常に新しいテクノロジーを取り入れ、未来を創造する姿勢。
この3つのキーワードを、プロダクトの機能開発からマーケティング、営業のトークスクリプトに至るまで、すべての活動の軸に据えたんです。家庭向けのビジネスは、売り切りモデルになりがちでLTVが見込みにくい。我々は、お客様がきちんと対価を払ってでも解決したい、それだけ大きな課題が存在する市場を選んだ、ということです。
事業の前に、まずマーケットを創る。20代の原体験が育んだ経営哲学

塩口 多くのBtoB企業は、短期的な獲得施策に注力しがちです。その中で、河瀬社長が創業当初からこれほどまでにブランディングを重視されているのは、なぜなのでしょうか。
河瀬氏 それはもう、前職での強烈な原体験があるからです。
塩口 原体験と、言いますと?
河瀬氏 僕はGaiaxという会社に在籍し、新規事業として「ネット選挙」の事業責任者を務めていました。2013年にネット選挙が解禁されることが決まりましたが、具体的にどんなビジネスが生まれるのか、誰も分かっていませんでした。当時、僕はまだ23歳くらいで、政治については全くの素人。しかし、とにかくたくさんの政治家の方々にヒアリングを重ね、「ネット選挙とはこういうもので、こんなリスクがあり、こういう対策が必要です」という情報を、どこよりも早く、積極的に発信し続けたんです。
塩口 ご自身で、市場のルールやあるべき姿を定義していったのですね。
河瀬氏 はい。そうしたら、ネット選挙の解禁日には、テレビのキー局すべてに「専門家」として呼ばれるようになっていました。その結果、問い合わせが殺到し、課題の解像度がさらに高まる。そして、その課題を解決するサービスを開発したところ、その年の選挙で圧勝した自民党から、全国の候補者のネット関連モニタリング業務をすべて受注することができたんです。それでGaiaxの株価は、40倍にまで跳ね上がりました。この経験から、「プロダクトや事業を作る前に、まずマーケットやコンセプトを創り上げる」という、今でいうカテゴリーブランディングの考え方が、骨の髄まで染み付いています。
「鍵」から「空間」へ。Akerunが描く、次の成長戦略

塩口 クラウド型入退室管理システムの市場を確立された今、どのような未来を描かれていますか?
河瀬氏 まさに今が、第二の創業期とも言える転換点だと感じています。お客様は、「鍵に関わる煩わしい業務」をなくしたいからこそ対価を払ってくださっている。その延長線として、我々はAkerunのテクノロジーを用いてあらゆる空間を無人化・省人化し、不動産の価値そのものを最大化するビジネスを本格的に展開していきます。
塩口 空間の価値を最大化する、ですか。具体的にはどのような事例があるのでしょうか。
河瀬氏 例えば、あるパーソナルジムでは、Akerunとカメラ、そして我々の施設運営代行サービスを導入いただくことで、これまで営業できなかった夜間帯も無人で営業できるようになり、売上が10%〜20%向上しました。
また、最近急増しているのが、コンビニへの導入です。人手不足で全国の約12%のコンビニが夜間営業を停止していると言われる中、Akerunがあれば会員制の24時間無人営業を可能にします。他にも、地方のカフェが、夜間はコワーキングスペースとして営業し、新たな月額収益を得るといった事例も生まれています。
塩口 新しいビジョンを社内に浸透させていく上で、難しさは感じますか。
河瀬氏 ものすごく感じています。何より、社内のマインドセットの変革が不可欠です。ビジョンと同時に、社員の意識もアップデートしていかなければならない。そのために、私自身が誰よりも熱量を持って新しいビジョンを発信し、成功事例を共有しています。先日も、主要メンバーを連れて「大人の無人店舗遠足ツアー」と称して、実際に様々な無人店舗を体験して回りました。担当者が自らその未来を信じ、自分の言葉で熱く語れるか。スキルや知識以上に、このマインドセットがすべてだと考えています。
BtoBにおけるカテゴリー創造の本質

塩口 最後に、BtoBマーケターに向けて、河瀬さんが考える「カテゴリーの重要性」を改めてお伺いできますか。
河瀬氏 カテゴリーを自ら定義していくことは、ブルーオーシャン戦略そのものだと考えています。我々は「入退室管理」という市場に、「クラウド」や「後付け」という新しい軸を持ち込むことで、戦わずして勝てる独自のポジションを築くことができました。
新しい市場を創造できれば、そこに課題を持つ感度の高いお客様が自然と集まってきてくれる。この好循環を生み出せることこそが、カテゴリー創造の最大の価値だと思います。
塩口 新しいカテゴリーにおいて、お客様に価値を理解いただき し、投資していただくためにどのような工夫をされてきましたか。
河瀬氏 BtoBビジネスにおいては、最終的に「売上が上がるか」「コストが下がるか」、このどちらかで説明できることが、すべてにおいて重要です。
オフィス向けの入退室管理システムは、既存の警備システムと比較して「コストが下がる」という非常に分かりやすい価値がありました。そして、これから我々が注力していく空間の無人化ソリューションは、「売上を上げる」ための投資です。
どんなに新しいカテゴリーであっても、お客様が社内で予算を確保するための「経済合理性」を、僕らが明確に提示できるか。常に代替案や比較対象を意識し、お客様の財布の紐がどこにあるのかを深く理解した上で価値を提案することが、何よりも不可欠だと考えています。
塩口 カテゴリー創造のリアルなプロセスから、その根底にある経営哲学まで、本日は大変貴重なお話をありがとうございました。
